クラシック音楽に触れる前に、まず「クラシック音楽」という言葉に壁を感じるあなた。
クラシック音楽って何となく敷居が高いですよね。
音楽自体もそうだけど、まずクラシック音楽の定義からよくわからない。
そこで、「クラシック音楽」とは何なのか、という正体を探ってみましょう。
「クラシック音楽」に定義はない
結論はこれ。正体不明。
正体を探るとか言っといて、こんな結論で申し訳ないです( ̄∇ ̄;)
「クラシック音楽」に厳格な定義というものはありません。
音楽学者でもそれぞれ考え方が違っていて、絶対的な共通見解は存在しない。
学者でも答えを出せないのですから、あなたなりの考えを好きなように持って構いません。
そこで、考える上でのヒントとなるものを いくつか挙げてみます。
・イメージで考える
漠然とイメージする「クラシック音楽」を言葉にするならこうなります。
→「18世紀~20世紀初頭あたりに作られた西洋音楽」
作曲家で言えば、ヴィヴァルディからドビュッシーあたりです。
音楽史がちょっと分かる人向けに言うと、後期バロックから、古典派、ロマン派を経由して、現代音楽の初めの方まで。
友達とクラシックについて話をするなら、ふわっとした認識の方がちょうどいいです。
マニア同士でもないのに、あんまり細かい話をすると鬱陶しがられますからね( ̄∇ ̄;)
・言葉から考える
「クラシック」という言葉自体は音楽用語ではありません。
この言葉の意味は「古典」とか「一級品」です。
「クラシック音楽」には、この両方が含まれています。
この2つについて考えてみましょう。
古典
時代を超えて残ったものは「古典」となります。
「古典」とだけ考えると、バロック以前のルネサンス音楽や、中世の教会音楽なども入ります。
地域をしぼらなかったら、日本の伝統音楽なども「クラシック」になりますね。
一級品
時が経てば現代もいずれは過去となる。
古典とは時代が進むほどに拡大されるものです。
しかし具体的に何年前から古典扱いしていいのかが問題になります。
そこで「一級品」という考え方。
「一級品」ならば比較的新しい音楽でも、「クラシック」の仲間入りする事が出来ます。
僕はこの考え方が一番好きです。
・「クラシック音楽」という言葉の成り立ちから考える
どうやって音楽業界に「クラシック」というワードが持ち込まれるようになったのか。
古い時代では、音楽は使い捨てるものでした。
演奏されるのは最新の音楽だけ。
ひとたび公演が終われば、もうその音楽の役割は終わりです。
しかし「ロマン派」と区分される時代に、過去の音楽も演奏する価値ある という考えが生まれます。
そして過去の使い終わった音楽を掘り起こし始めました。
その時初めて、最新の音楽と分けるために「クラシック音楽」という言葉が誕生しました。
時代区分の「古典派」とは、「クラシック音楽」という言葉が誕生した当時に「古典」として扱った時代です。
「クラシック音楽」とは「古典派」のみのことである、と考える人もいます。
楽しく考えましょう^^
好きに考えていいとは言われても、実際どう考えるかはとても難しい問題。
僕としては、何が一番楽しいか、を重視して欲しい。
音楽はいい気分になるために聞くものですから、音楽の定義でイヤな気分になったってしかたがない。
自分が一番楽しめる考え方をしましょう^^
ちなみに僕は、「クラシック音楽」は「一級品の音楽」と考えています。
ゲームの「ドラゴンクエスト」の音楽なんかも、僕の中では一級品です。
いかがでしたでしょうか。
「クラシック音楽」という正体不明の化け物が、ゴーストタイプのモンスターくらいにはなったかな?( ̄∇ ̄;)
「クラシック音楽」は堅苦しいものだと考えがちだけど、実は定義から曖昧です。
定義が曖昧だから、楽しみ方も適当でいいんです。
気楽にクラシック音楽を楽しみましょう^^
クラシック音楽に精通していませんが、何となくよく聞いております。標題の無いナンバリングの音楽に、評論家の方々が音楽に対して「優しさ、憂い、怒り等など‥」と評しますが違う感覚を感じる事も有り、鑑賞にあたっての音楽に対するイメージ作りが今一つと感じ、姿勢やとらえるコツなどが有りましたら教えていただけないでしょうか。
恐らくですが、あなたの音楽に対するイメージ作りが悪いのではなく、
あなたの感じた「何か」を表現するのにしっくりくる言葉が無い(知らない)だけではないでしょうか。
音楽に限らず芸術というのは、言葉で表現できない「何か」を伝えるために、絵画や音楽を使って表現したものです。
その「何か」を言葉でたやすく表現できるなら、芸術家は芸術に頼らず言葉でそれを伝えようとすることでしょう。
しかし言葉では伝えられないからこそ、絵画や音楽にその「何か」を託しているのです。
つまり芸術を通して感じた「何か」は基本的に言葉で表現出来ないのが当然なのです。
(それでも言葉でその「何か」を表現しようとすれば、文学という芸術になります。)
たとえうまく言葉で表現できなくとも、自分の感じた「何か」は紛れもない本物です。
その感覚をありのままで大切にするべきではないでしょうか。
評論家の使う分かりやすい言葉を真に受けて、自分の感じた 言葉にできない複雑なものをかき消してしまうべきではありません。
芸術から得た感覚よりも、評論家の言葉を優先してしまっては芸術を否定するのと同じです。
自分の心、自分の直感、自分の感性を大事にしましょう。
言葉にできない感覚を大事にしていれば、いずれその感覚を表現するのにふさわしい言葉に辿り着くこともあるはずです。